その気持ちは、だれにも知られてはいけないもの。




 赤い目で油断なく辺りを警戒しながら、彼は意識のどこか奥の方で“彼女”を探していた。物憂げな瞳をした、光を弾かないやさしい金色。
 彼と彼女は、立場こそ違うものの同じ仕事をしてい『た』。
 今となってはもう過去形の話だ。彼女は自分の組織を裏切り、そして自分に追われている。彼以外にも彼女を追っている人間はいるだろう。来る者は拒まず去る者は地の果てまで追いかけて殺す。いつも薄気味の悪い笑みを浮かべている彼女の組織の首領はそんな人間だった。

(………おれも)

 逃げられるものなら逃げたいと、何度思ったことか。だが、彼には裏切りをしてまで守りたいものなどないし、彼の上司はそんなに生やさしい相手ではない。
 滑稽にすら思えるあの被り物の奥で上司がどんな顔をしているのか、彼は今まで見たこともなければ想像したこともない。どうせろくなものではないとわかっているからだった。

────へえ、奴の殺し屋が逃げたのか。

 被り物にこもった奇妙な声で上司が笑った気配がする。ひどく楽しそうに肩を揺らして、その男は彼に告げた。

────その女を探せ。可能なら組織に引き入れる。

 可能なら? 可能であるはずがない。彼の知っているその女はそんな簡単な四則演算のような理論で語れる人間ではなかった。寝返るくらいなら死を選ぶ。彼の知っている“彼女”はそう言う女だった。
 とにかく、と彼は息を吐いた。動き回ったせいだろうか、顔につけたガスマスクの中で、むっと生温かい空気がこもる。それが気持ち悪くて、彼は思わずマスクを外した。
 途端にクリアになった視界の端で、見覚えのある金色がひらめいた。

(─────……見つけた)

 いくら多少は違法の匂いのする住処とはいえ、まさかこんなに堂々と生活しているとは思わなかった。古ぼけたアパートの前で、彼女はやけに艶っぽい女と座り込んで話をしているようだった。
 走り寄りたくなる衝動を抑えてゆっくりと近づいていく。ぴったり15メートルのところで足を止めると、彼女もこちらに気付いたようだった。驚いたように慌てて立ち上がり、その動きで緩く波打つ金の髪が揺れる。

「────ジャック!!」

 ああ、この声が聞きたかったのだと。

 そのおもいは、形にしてはいけないもの。








(会いたかっただなんて、殺されても言えるわけがない)