「────誰?」
レポート提出を命じられた教授を探して迷いこんでしまった良くわからない研究所を歩き回っていた賢木は、不意にその声を拾ってひどく驚いた。
ざらりとした、わずかなたどたどしさを含んだ英語。こんな声が人間に出せたのかと思うほどの、煮詰められた純粋な憎悪と敵意だけの声。そのくせ、もうすべてどうでもいいと言わんばかりの投げやりな口調だった。声はまだ幼く、かろうじて少女であることがわかるくらいの高さだ。性差も現れて間もないような幼い子供が、何をどうやったらここまで悪意に満ちた声が出せるのか。
驚く賢木をよそに、声はさらに問いかける。
「そこにいんの、誰?」
ぶつ、ぶつ、と、吐き捨てるように単語がばらまかれていくイメージ。声の出所をたどっていくつ目かの角を曲がった瞬間、彼は声を聞いた瞬間よりももっと驚いた。
無骨な機械ばかりが並ぶ銀色がかった空間の中心に、動物園を思わせるガラスの立方体が鎮座している。機械から伸びたコード類は、すべてそのガラスの中へ繋げられているようだった。光の反射で良く見えなかった立方体に目を凝らした賢木は、己の目を疑った。
動物園のディスプレイじみたガラスケースの中には、体中にコードをつなげた少女が座っていた。
とっさに賢木は駆け寄ろうとしたが、パスワード制限のかかったドアに阻まれたところでようやく彼は自分が壁にはめ込まれたガラス越しに少女と向き合っていたことを悟る。ガラス二枚越しに、感情をそぎ落とした空洞のような瞳がこちらを見ていた。
「────・・・子供・・・・・・?」
「・・・なんでスピーカーつながってんの?」
思わずこぼれた賢木の呟きを拾って、少女は不愉快そうに眉をひそめる。その顔に浮かぶのは疑問。体中のコードに絡み付くようにして垂らされていた髪の毛がざわりとうごめいた。
「しかもジャパニーズ? 捕まる前に帰ったら」
「おまえだって日本人だろ。なんだよ、その設備」
「見てわかんないってことは、あんた研究職じゃなくてエスパーなんだ?」
筋肉のつき方からして精神感応系かな、と大人びた英語で言って、少女はゆっくりと立ち上がる。それを見た賢木が驚いたのは、彼女が床についた髪の毛を支えのようにしてふらふらと立ち上がったからだった。少女の持っているとおぼしき見たこともない超能力と、自力では立てなくなっているというその衰弱具合、両方に驚愕して。
歩く、というよりは、ぶら下げられたまま滑るように移動する少女は、正方形のガラスケースの縁についたところで少しだけ首を傾げた。
「早く帰れば? ここにいたってお菓子と紅茶は出ねーよ?」
「おまえ放って帰れるわけないだろ。畜生、どうやったら入れるんだ、これ」
「だから無理だって。レベル4のパスがいるんだよ」
スピーカー越しに聞こえる呆れ顔の言葉が一瞬だけノイズにかき消される。ごくわずかなそれを正確に拾って、少女は心の底から嫌そうな顔をしてみせた。
「時間切れ。あと5分でクソどもが来っから、見つかって拷問される前に帰れよジャパニーズ」
自分よりもずっと幼い少女が使うとは思えない汚く崩れた英語に顔をしかめながら、賢木はためらいがちに足を引いた。逃げの体制に入った彼を満足そうに見やり、少女はまた一番最初の体勢に戻っていく。
ガラスの向こうの賢木にもう興味は無いとでも言いたげに、手近な髪を一房手にとってくるくるといじる姿はしっくりとこの空間に馴染んでいて、少女が昨日今日ここに収監されたわけではないことを示していた。
「ま、次の"散歩"で会えたら会いに行くよ。じゃーねオニイチャン」
「まっ・・・・・・!」
言い募ろうとした賢木の言葉を、角の向こうから聞こえる固い足音が遮った。びくりと震えた賢木を呆れ顔で見やり、雑な動きで顎をしゃくる。指された先を見れば、かなり大きめのダストシュートが口を開けていた。そこから外に出られるということだろうか。
迷っている暇はなさそうだった。冷ややかな視線に後押しされるように飛び込んで、どうにかこうにか外に出たのは夕日も沈みかけた頃だった。教授を探してあの研究所に足を踏み入れたのは昼を少しすぎたくらいだったのに。
疲れ果ててカフェへ赴いた賢木を、キャロラインと二人で別のレポートを仕上げていたらしい皆本が不思議そうな顔で出迎えた。
「どこに行ってたんだ? 頭に紙くずついてるぞ」
「・・・・・・・・・キャロライン」
「なに?」
「レベル4のパスが必要なセクションって、何やってるか知ってるか」
「確か政府の要請を受けてやってる実験じゃなかった? レベル4って言ったら、限られた教授と政府から指名された研究者しか持ってないはずよ」
「・・・政府だァ・・・・・・?」
「いきなりどうしたの? レポートは提出できた?」
政府が噛んでいるなら、賢木があの少女をなんとかするのは不可能に近い。何故だか絶望的な気分になって彼はうなだれた。
二度と会えないだろう。それが何故か残念だった。
ところが、その予想を裏切って、彼と彼女はわずか2週間後に再会を果たすことになる。
09/05/30
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