きみにしか、きこえない
 




 わたしは静と凛を創る過程で偶然出来上がった失敗作です。

 こう言うと二人はたとえ何時どんな場所であろうとも決まってその美しい顔を不愉快そうに歪めるのですが、わたしはそれ以外に自分を形容する言葉を知りません。
 凛はわたしを他人に紹介するとき、「いとこ」と言いました。静はわたしを他人に紹介するとき「アメリカに居た頃からの知り合い」と言います。わたしが彼らとの関係を説明するとき、わたしはいつも犬笛の話をします。
 わたしの声は普通の人間には聞き取れません。感応音域の広い静と凛にしか聞き取れない高周波の声を出しているのだと、以前静が教えてくれました。どこをどういじったらそうなってしまったのか、それは誰にもわかりません。まったくの偶然だったらしいのですから。ただ一つだけ確かなのは、わたしは静と凛の二人としか"会話"ができないということ。必要に迫られて普通の人と話すときは障害者を装って筆談で何とかしています。
 雨宮が、ネオ・ジェネシス社が比佐子さんと静を見つける前、わたしは雨宮の家で凛専用の無線機でした。静がアメリカに行ったあと、なぜか雨宮の家から引き渡された先は静が閉じ込められている研究所で、わたしはそこでも静専用の呼び鈴として生活していました。静が日本に戻り凛と再会した頃、わたしはまたネオ・ジェネシス社と米軍によってひっそりと日本へと輸送され、凛と三上君に連れ出されるまで彼らと静の争いに使われていました。
 振り返ってみれば、つくづくあの双子に振り回されてきたのだなと実感しますが、結局のところわたしはあの二人の副産物なのだから、仕方のないことかもしれません。何より、わたしは静と凛が大好きなので。


『…会議は終わったの、静』
「もうおれは凛、だ。わかってるだろ」
『それでも、永江君しかあなたを静と呼ばないのは悲しすぎるよ…?』
「…これはおれが選んだ道だから、別にいい」

 傍目から見れば、わたしたちの会話はただ彼が一人で喋っているように見えるのかもしれません。聞き取ることは出来ても、わたしと同じ音で話すヒト族はいません。それはたとえ新人類である静と凛でも。そもそも、普通の人間の声帯ならとっくに張り裂けているはずなのですから。
 わたしの横に音一つ立てずに腰を下した静は、もう対外的には凛ということになっています。奥神島での争いで命を落としたのは三上君と静であり、生き残ったのは雨宮の後継者である凛なのだと。すべてが終わったあと、戦闘力を持たない用なしとして隔離されていたわたしはそれを三上さんから聞いて愕然としました。
 静はこの世界で、真実一人きりになってしまったのです。
 もちろん彼の傍には永江君がいるし、誰も彼もが足並みを揃えて彼に背中を向けたわけではないのですが、生物学的見地から見てしまえば、最終的に彼は新人類としてたった一人で生きていかなければいけません。
 なんて孤独。
 静、静、あなたはそれでよかったの?
 そう聞けば彼は一も二もなくイエスと答えるでしょう。そうして彼は誰にもわからないように一人で傷ついていくのでしょう。

『…わたしにできることは、本当に少ないなぁ…』
「おまえが何かすることなんかないさ。記憶を共有できる人間がいるのは、正直助かる」
『静、生きるのは楽しい?』
「あんまり。────でも、凛が生きたかった世界だから」
『…その隣、に、わたしはいても、いい?』

 その言葉を形にすることに、私はひどく勇気を必要としました。拒絶されることが予測できたからです。静はとても強いので、すべてを一人で抱え込むことに慣れてしまっています。それゆえに、横に並び立つことを許される相手はとても限られてくる。アメリカ時代に少し話しただけ、ましてやわずかな間とはいえ彼を追い詰める側に居たわたしでは、即座に突き放されても仕方のないことでしょう。
 それでも彼の傍に居たいと思うのは、わたしも一人は嫌だからと言うよりありません。結局、わたしと声を交わすことが出来るのは静と凛の二人だけで、それはわたしにとって何にも替えがたいことなのですから。

『わたしは静のために何をしてあげられるわけでもないけれど、それでも傍に居たいと思うのは、許されないかなあ…』
「それはこっちのセリフだよ。……
『なあに、静』
「傍に、…」
「せ…じゃなかった、りーん! 遊びに来たぜーっ…って、」
「……と〜い〜ち〜…」
「えっ? 何? あ、こんにちは、さん」

 底抜けに明るい声で呼ばれ、応えて頭を下げたわたしに永江君は笑いました。がくりとうなだれた静の表情はそれでも穏やかなもので、無駄とわかっていてもわたしは思わずにいられませんでした。

 …凛が、ここに居たらよかったのに。

 泣きそうになった瞬間、静がこちらに気付いてわたしがせっかくきれいに巻いた髪をぐちゃぐちゃにかきまわしてしまいました。台風のあとのような頭を抑えてひどいねと一言いうと、くだらないこと考えてるからだと笑われました。

「ちょ、凛! せっかくきれいだったのに何してんだよ! ごめんなさん、あとで叱っとくから」
「いや、おい十市」

 どこまでも明るくてあたたかい二人のやりとりを見ながら、わたしはとても幸せでした。
 確かに静は一人だけど、"独り"ではないのです。
 隣には永江君がいるし、後ろには三上さんがいる。そしてその傍に、わたしも立てたらいいと思います。

 いつも通り、静にしか聞こえない声で『だいすきだよ』と言ったら、気付いた静が少し驚いたあとに笑い、永江君は聞こえていないはずなのになぜかとても嬉しそうな顔をしました。




(ああ、なんていとしい人たち)