御柳芭唐、華武高校野球部四番バッター。

 別に嫌いなわけじゃあない。好きか嫌いかと聞かれたら───まあそう言う二元論は嫌いなんだけど、むしろ好きと答えるくらいだ。だけどやっぱり彼が私に向けている感情と私が彼に向けている感情というのには若干のズレがあると思う。友達と恋人の違いなんて言う綺麗事じゃなくて、もっと微妙であいまいな違い。たとえば、彼が私と話したいと思っている時、私は彼のその首筋に頬をすり寄せてむしゃぶりつきたいと思っている、とか。・・・・・思考が変態じみているのは重々承知だ。(ていうか、「むしゃぶりつきたい」は自分でもどうかと思った)(盛りのついた雄猫か)
 好きであるがこそ彼に嫌われたくないと思うのだし、嫌われたくないと思うがゆえに私は彼の気持ちに応えることができない。応えてしまったら歯止めが効かなくなるに決まっている。今だってもうかなりいっぱいいっぱいなのに、どうなるんだ。彼に見つめられて愛なんて囁かれてみろ、私の理性なんてものは一発で大宇宙の彼方へ葬り去られてしまうに決まってる。
 そうして彼を怖がらせてしまうに決まってる。





せんぱーいっ!」

 向こうの方からかけ寄ってくる芭唐に、一瞬、ぴんと立った耳とちぎれんばかりに振られているしっぽの幻覚が見えた。うっかり抱きしめてしまいそうになった。あぶないあぶない。
 あっという間に彼は私の前に到着した。(まだ私の方が背が高い)取り落としそうになったスコアボードを小脇に抱えてため息をついて見せる。

「あんまり急ぐとコケるよ、御柳」
「大丈夫ッスよ、鍛えてますから」
「そうかー、すごいねえ御柳は」

 ころころと笑うと、御柳が不服そうに顔を曇らせた。むう、と寄せられた眉根がものすごくかわいい、といったら怒るだろうか。怒るだろうなあ。
 かわいい(愛しい)後輩が、時折ひどく真摯な”男”の瞳で私を見ていることを私は知っている。知っているだけで何もしない。なぜなら私もおそらく乾ききった”女”の瞳で彼を見ているだろうからだ。
 予定調和の恋愛喜劇。観客は自分自身。

「ん、御柳、さっき無涯に怒られてたけどいいの?」
「・・・・・・・・・・いいッスよ、屑桐さんなんて」

 むくれる御柳の突き出した唇に勢いのままキスでもしてしまいたい。その衝動を渾身の理性で持って抑え込んだ。そろそろやばいかもしれない、私。
 そういえば今日の御柳はフーセンガムをふくらましてない。手持ちのガムがなくなったのだろうか。

「御柳、ガムいる?」
「へ?」
「いや、ガムなくなったんでしょ? あげるよ」

 ぞんざいに言ってポケットから取り出したガムを御柳に渡す。ぽかんと私を見ていた彼は、少しだけためらってついに口を開いた。






せんぱい、好きです」






 まっすぐで迷いのない瞳に、私は一つ笑って御柳の頭を撫でた。そのままひとしきり撫でてから遠くの方でトンボかけをしていた無涯の方へ走り寄る。聞こえた御柳の声は無視することにした。

「無涯」
「・・・・・・・・なんだ」
「そうあからさまに嫌そうな顔しないでよ。私とあんたの仲じゃない」
「何の用件だ?」
「私帰るね」
「は?」

 わけがわからない、と顔中に書いてくださった無涯の肩に腕を乗せて半分くらいの体重をかけ寄りかかる。おでこがくっつくかというくらい顔を近づけると無涯はあからさまに迷惑そうな顔をした。私はそれを無視して小声で囁く。

「やっばいの。もう御柳かわいすぎて今にも襲っちゃいそうなの。だから帰る」
「またか貴様・・・・・・」
「今週はまだ2回目じゃん! 頼むよキャプテン」

 キャプテン、なんて呼ばなくても無涯がしぶしぶながら私を帰してくれることは経験でわかっている。お隣さんでおさななじみでもあるせいか、屑桐無涯という男は私よりも私のことをわかっているからだ。
 しばらくにらみ合って、無涯が静かにため息をついた。私の勝ち。

「ありがとね、無涯。埋め合わせは今度!」
「当たり前だ、この馬鹿!」

 諸手を振ってカバンを取りに走り出した。御柳は怒っただろうか。怒っただろうなあ。でもきっとそうして怒った後、またいつも通りの笑いで「先輩」と呼んでくれるだろう。なんたってもう3回目なのだ、御柳が私に告白して私が逃げるというのは。そろそろ慣れるってもんだろう。

(愛してるよ、芭唐)

 童貞を失う覚悟ができたらおいで。骨の髄までしゃぶりつくしてあげるから。
 まるで妖怪だ。スクールバッグを肩にかついで、私はぺろりと唇をなめた。







おなか減ったなァ

(この飢えを満たしてくれるのは君だけ)