トバリシティは、シンオウ地方一の大都市だ。デパート、ゲームコーナーが立ち並び、リーグ制覇を志すトレーナーたちはジムを目指して瞳を輝かせる。 数カ月ぶりにそのトバリシティを訪れたシロナは、相変わらずの賑やかさに少しだけ笑った。ここしばらく、リーグ挑戦者や伝承にまつわるごたごたでポケモンリーグ本部とシンオウ各地との往復を余儀なくされていた身としては、ざわざわと揺れる空気も街並みも、すべてが好ましくいとおしいものに思える。一歩間違えればここに溢れる笑顔が失われていたのかもしれないと思うと一瞬背筋が凍えるが、結局はそれも回避されたのだからまあいいかとその思いを振り払った。 シンオウを救ったのは、まだ幼い一人のトレーナーだった。 くるくるとよくまわる瞳にまじりけのない明るさと好奇心を宿して、時折顔を合わせて不可解な言葉を残すしかできなかったシロナをまるで親か何かのように尊敬しているらしい。気恥ずかしいことこの上ない。そのうえこのシンオウの一大事に何もできなかった後ろめたさも追加されて、「わたし、シロナさんみたいなトレーナーになりたいんです!」と笑顔で言われたときは穴があったらもぐりこんで3年ほど出てきたくないと思ったものだった。 そんな彼女は、ついこの間シロナ率いるシンオウリーグに挑戦し、シロナの前に立つことなく敗れていった。確か、苦手タイプとのバトルを終えてへとへとになっていたところをゴヨウがあっさりとたたきのめしたのだったか。礼儀正しいのは結構だが、それにしても容赦のない攻撃だったとシロナは苦笑する。彼のように理詰めで行動する人間は、やっぱりあの子のような直情型とはそりが合わないのかしら。 そこまで考えたシロナは、視界の端に見覚えのある後ろ姿を見て首をかしげた。ぴんと伸びた背筋に、緩やかなウェーブがついたスウィートパープルの髪。几帳面にアイロンのあてられたスーツを着たその人は、 「………ゴヨウ君?」 恐る恐る、という感じで声をかけると、スーツの背中が一瞬びくりとはねてすぐに知らん振りをするつもりなのか沈黙する。振り返る気配は一切ない。そっけない反応が面白くなくて、諦めて通り過ぎる───振りをした。 「やっぱりゴヨウ君じゃない。珍しいわね」 「……、………シ、ロナ、さん……」 見つかってしまった、とでも言いたげな顔をして目を泳がせる彼は、エスパータイプのエキスパートであり、またシロナの同僚でもあった。その人を食った態度と隅々まで計算されたバトルスタイルで誤解されがちだが、鮮やかな色眼鏡の奥で冷静に相手を見据える瞳が実は誰よりもロマンチストだということをシロナは知っている。 デパートの入り口脇でたたずんでいる様子からして、中で買い物をしている誰かを待っているらしい。 「誰を待ってるの?」 「…………まあ、その…知り合いですよ」 彼らしくもない歯切れの悪い答えだった。聞かれたくないのだろうとシロナはそこで追及を止め、ぐるりとあたりを見回して少しだけ微笑んだ。 「その誰かさんに連れて来られたの?」 「そんなところです」 「意外と押しに弱いのね、ゴヨウ君」 以前なにかの折に騒がしいところは嫌いだとぼやいた彼がこんなシンオウでも1・2を争う騒がしさの中で人を待っている。よっぽどその相手が大切なのだろうとシロナは微笑ましい気持ちでゴヨウが背を向けている自動ドアの方を振り返った。ひっきりなしに人が出入りしているドアの向こうに、ちらりとよぎった長い黒髪。ぱたぱたと揺れる帽子と合わせて、シロナが一人の少女を思い出した瞬間だった。 「ゴヨウさん、おまた────……あっ、シロナさんっ!」 「ヒカリちゃん」 思い出すも何も、本人だった。 「────まったく、いつまで待たせる気だったんですか」 「あはは、ごめんなさい。安売りしてたんで、つい」 「せめて連絡ぐらい入れなさい。ポケナビは持っているんでしょう」 「……………えへ」 「持ってないんですか? どこまで常識が通じないんだ貴方は」 「えっ、いつもは持ってますよ! きょうは、その、充電してたら忘れちゃって」 あらぬ方向を見ながら弁解するヒカリの言葉へかぶせるようにゴヨウがため息をつく。 話の展開についていけないシロナが目を白黒させていると、それに気づいたゴヨウが決まり悪そうにまた視線を逸らした。 「……ヒカリちゃん、ゴヨウ君といつの間にそんな仲良くなったの?」 「えへへ、あたし、この間ボロ負けした後にリベンジ申し込んだんですー」 「あの後に?」 驚いて聞きかえすとゴヨウがさらにため息をつく。思わずそちらを見ると、額を押さえてゴヨウがうめいた。 アイドルの出待ちよろしく他の挑戦者とのバトルが終わるのを出口で待ち伏せられたらしい。思いついたら即実行の彼女らしいといえばらしいやり方だ。そのまま成り行きでリベンジを願い出たものの結局また惨敗したヒカリは何故かゴヨウに懐いてしまったらしく、強引にポケナビのアドレスを交換し、思い出したようにメールのやりとりを続け、今に至る。 相変わらずの行動力にシロナが思わず拍手をしたら、乗せられたヒカリが嬉しそうに胸を張った。あきれたようにゴヨウがため息をついて何してるんですと言った。 「そんなことは威張れることでも何でもないでしょう。むしろ精神誠意謝りなさい。私に」 「ええええー、ゴヨウさんだってそこそこ楽しんでたじゃないですか、さっきだっ」 「やかましい!」 焦ったゴヨウがヒカリの口を片手でふさぐ。笑い含みで楽しそうねとシロナが言うと彼はあわててその手を離してあらぬ方向を見ながら咳払いをした。ここまで動揺しているゴヨウを見るのはいつ以来だろう。 「じゃあ、私はそろそろ帰ろうかしら。ごゆっくり」 「ちょっ、シロナさん、」 「あは、また挑戦しに行くのでー!」 「うふふ、待ってるわ?」 微笑みながらヒカリに近寄るふりをして、シロナは完全に油断していたらしいゴヨウの色眼鏡に指を引っ掛けてそれを奪い取る。シロナの指には思ったほど抵抗は感じなかったのだが、それでもやはり痛みはあったらしい。眼鏡のつるで引っ掻かれた鼻を押さえながらゴヨウがうめいた。 「痛った……なにするんですかシロナさん!」 「あ、痛かった? ごめんね」 「いやそうじゃなくて…」 突っ込む言葉もなくしたゴヨウをさらりと無視して、シロナは指の先に引っ掛けっぱなしだったゴヨウの色眼鏡を軽やかに自分にかける。 「ちょっと!」と呼び止めるゴヨウも無視で、シロナは底抜けに明るく笑った。 「それじゃ、デートを楽しんでね!!」 |