Herr.はドイツ語でMr.みたいな


※オンマウスでドイツ語訳ちょっと出ます





 ともだち、ではない。ただの知り合いという仲でもないけれど、二人の関係をそう形容するには何かざらついた違和感があった。仲の良い知り合い、という便利な言葉でごまかすことを少年は良しとしないだろうし、変わった友達、という安易な単語を使えば青年の方が首をかしげるだろう。
 要は、二人してお互いの間の距離感を測りかねている。
 そういうことだった。



 久々に長く取れた昼休みを堪能しようとビアガーデンにやってきたダイゴは、他愛もないおしゃべりに興じる人のすき間に見慣れた帽子を見つけて思わずその持ち主の名前を叫んでしまった。
 くだらない馬鹿笑いにかき消されてしまうかと思ったその声をうまく拾い上げて、右肩にリュックを引っ掛けたルビーが振り向く。声は聞こえたけれども発信元は見つからなかったらしい。きょろきょろとあたりを見回す少年がおかしくて、ダイゴは小走りでルビーのところまで近づいていった。

「やあ、ルビーくん」
「ダイゴさん! いきなり遠くから呼ばないでくださいびっくりするから」
「あはは、ごめんね」

 ダイゴが笑いながら謝ると、ため息一つで気持ちを切り替えたらしいルビーはまっすぐに彼を見上げながら昼食の話を振る。これから露店で買って済ませようとしていたというルビーに自分も同じだと告げて、ダイゴは空いた席を指さした。

「あそこで食べようか」
「お昼を買い終わってまだ空いてたら、そうしましょうか」
「あー…、そう言えば、お昼買わなきゃいけなかったね」
「……5秒前に話したじゃないですか」

 呆れ声でそう言って、ルビーはあらかじめ決めていたらしい一つの露店へ迷いなく進んでいく。露店と露店の間を少し入った目立たない場所にあるその店が実は周辺の学生や住民に一番人気だというのをダイゴに教えたのはルビーだった。
 ルビーはこの近くに住む学生だ。ダイゴが越してきたアパートの隣部屋に住んでいるホカゲとかいう男と仲が良く、その関係で二人は知り合った。二つも三つも年の離れたダイゴを「うだつのあがんねー奴だな」と笑うホカゲは、ルビーと同じ学校の最上級生で、偶然同じ授業を取った学年違いのクラスメイトなのだという。
 ホカゲに言われたように、仕事場でも頼りないことには定評があるダイゴは、3カ月ほど前に仕事の関係でドイツへやってきた。予想外の転勤に、違う言語。隣人が同郷だったのは奇跡というしかない。しかもそれで仕事関係以外の知り合いがもう一人増えたのだから、いくら腹が立ってもホカゲには頭が上がらないとダイゴはここしばらく彼と飲みに行くたび思っている。

「ダイゴさんは何食べます? 一緒に頼んじゃうんで決めてください」
「……じゃあ、白ソーセージとビール」
Zwei weiβ wurst
Trinken?
Berr unt apfel saft bitte.じゃあ僕食べ物持っていくんで座るところお願いしていいですか」

 早口の応酬で注文したルビーは素早く振り向いてそれだけ言った。
 物心つくかつかないかという頃にドイツへ移住してきたルビーの家族は、奇妙なことに家の中ではルビーが生まれた祖国の言語、家の外ではドイツ語と使い分けているらしい。
 それに加えて学校で学んでいるらしい英語も日常生活に問題はないレベルに達しており、初めて会った時にダイゴが話した片言の英語を「英語下手なんですね」と流暢なクインズイングリッシュで返されたのは記憶に新しい。立派なトリリンガルである。
 ダイゴの方はといえば、簡単な日常会話には困らないが、こういった露店のようなスピードと正確さが求められる会話にはどうしても腰が引けてしまう。頭で考えながら喋るせいで時間がかかり、注文を受ける店員と後ろに並んでいる人間の両方を苛立たせてしまうのだ。
 ダイゴがようやく二人分の席を確保したころには、昼食を持ったルビーがすぐ横に追いついていた。

「よかった。席あったんですね」
「見つかってよかったよ……相変わらず混むね、ここ」
「この時間のビアガーデンなんてどこもこんなもんですよ」
「ふうん? あ、いいよ座って。僕持ってるから」
「すいません」

 短く言ってルビーはいそいそと椅子に腰を下す。肩にかけていたリュックを脇に置いて食事の載ったトレイを受け取ったところで、今度はダイゴがその正面に座る。
 おいしそうな匂いを漂わせているソーセージとザワークラフトをフォークでひとくちぶんだけ取って食べながら、ダイゴは正面でアップルジュースに口をつけているルビーを見て首をかしげた。

「・・・・そう言えばルビーくん、まだ学校じゃないの?」
「今日はHitzefreiで午前中までだったんです」
「あー、最近あっついもんね」

 死にそうです、と怒りの覗く笑みで答えてルビーはソーセージに手を伸ばす。フォークで豪快に串刺しにしたそれを驚くほど優雅にひとくちふたくちと食べて、ふと言った。

「そうだ。明日、ホカゲの家に行きませんか」
「ええ、なんで? もうしばらくはないんでしょ、ラテン語」
「先生がいないんですからどうにもなりません。じゃなくて、従姉妹だか女友達だかが来るらしいんです」
「へー、それは面白そうだね」
「でしょう? ひょっとしたら彼女かも」
「いやー、ホカゲに限ってそれはないでしょ・・・」
「事実は小説より奇なりって言うじゃないですか」
「どこで覚えたのそんな言葉」
「企業秘密です」

 軽やかに微笑んで、ルビーはまたソーセージに口をつける。辺りは思わず耳を押さえたくなるくらいの喧騒に包まれているのに、少年の周りだけはそんなこと関係なしにひどく穏やかな空気が流れている。

(………ああ、なんだろう、とても、)

「…Ich liebe dich.って言うんだっけ」
「………まだmagを使った方がいいですよ」

 ダイゴは(僕としてはliebeでいいんだけどなあ)と思ったけれども、口には出さなかった。
 今日も距離感が掴みきれずに終わってしまった。





(授業でやった程度のドイツ語じゃこれが限界)
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